【東日本大震災復興支援活動報告サイト】

波は穏やかであった。

4日(月)10:55 石浜の避難所 200食。
ここの部落は半島の先端で岸の左側と右側と両方から津波が来てぶつかり合っていたそうだ。下の家は基礎だけ残っていた。
漁師の人が話してくれた「津波が来たときには沖の岩のところまで歩いて行ける位に引き潮だっただよ。第一波の津波が去った時に部落の人が戻っていってしまい、第二波の津波で、みんな持っていかれちゃっただよ」みんな戻らなければ良かっただよ。
他の若い漁師の方のお話を聞くと、近いところの沖で作業をしていた人は、地震が起きたときは、すぐに沖に向かって逃げたそうだ。また少し沖で作業をしていた方は、何か船が変な回転をするなと感じたそうだ。

物見たさに多くの社員で行くことには気が引けた。3人で出来るか心配もあったが、きっと現地の人たちも手伝ってくれるし一緒にやることもいいことだと思っていた。

しかし、現地で言われたことは、被災された方たちは毎日食事の準備をしていますので「今日は僕たちが作りますので、休んでください」というような気持ちでお願いしますと。

手際の悪い我々を見かねて、釜を洗ってくれたおばちゃん。そこへ、デッキブラシで参戦してくれたおじさん。

平成8年に立替られた名足小学校(130名)

高台に立派な家も多い

目の前を津波が押し寄せさまざまなものが流れ着いている

石浜避難所からベースキャンプに戻る道

4日 午後から雪。

今日も暖房も無い

ベースキャンプを片つけてこれから山梨に戻るところ。

ここから数十メートルで海。この近くには建物は無い。

残っているのは基礎。

海岸線とほぼ平行に走る道路。

海岸線を走る道路の橋脚だけが残る。

津波が右側の沢を駆け上がった事が伺える。

すれ違う自衛隊に一日も早い復興を願う。

気仙沼線の線路も跡形も無いトンネル。

新しい電柱と、母と子の姿。

南三陸町の皆さんの多くは、集団移転に同意する人は少なかった。今回、少ない時間であったが、少しわかった気がした(中込)

簡単な気持ちでボランティア参加したけど、被災地の皆さんと接するとそんな簡単な気持ちじゃだめなんだと、つくづく感じました(秋山)

地震の影響で売り上げもものすごく下がってしまったが、私達には家も家族も職場もある。いつでもスタート出来るところがある。被災地の人に負けないように私も頑張ろうと勇気をもらった3日間でした(上田)

ひたすらに帰る家を目指し車を飛ばしていく。

今回のほうとう作りに協力して頂いた皆さん
 ・渡辺食品さん
 ・宝亀青果さん
 ・宮坂醸造さん
 ・オオキさん
 ・ユタカ製作所さん
 ・中央海産さん
 ・加藤雅子さん
 ・吉字屋さん
 ・日新厨房さん

ありがとうございました。




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