【東日本大震災復興支援活動報告サイト】

14:00馬場中山避難所 200食。避難所のかまどを貸してくれたが結果的に火力が弱く、取り替える事になった。

馬場中山の避難所を尋ねて40代の女性が来た。ここにいる女性の友達だと言った。避難所からその友達が現れると、互いを確認し肩を取り合って抱きしめた。お互い右手で口をふさぎながら涙の再会であった。避難所の女性「無事だったんだね、良かった。生きていてくれて、ずっと心配していたんだよ」。友人「○○ちゃんの方こそ連絡が取れなくて心配していたんだよ。」・・・・・

残ったほうとうを我々が食べていると、ご飯とおかずを差し入れてくれた。「ここ南三陸町はわかめの産地だから」と説明してくれるおじさん。差し入れしてくれたわかめの佃煮、これがずるずるでまずいこと、それでも「おいしいですね」と返すと「そう?これは津波で陸にあがった若布を拾ってきてつくっただよ、本当は若布の茎で作るんだけどな」と、にっこりして説明してくれた。

「本当においしかった、こんなにウマイもん食べられたんだから生きていた甲斐があった」。黄色い帽子の漁師のおじさんとの会話。
秋山「津波が来た時、どこにいたのですか?」
漁師「町の放送で6メートル津波(実際は20m近く)が来ると言うので船が心配だからロープを張りに船に行ったんだ。船にロープを張ってたら津波が来たから、ヒョイっと逃げたんだ」
秋山「よく助かりましたね」
漁師「生き残れたけど生き地獄だよ、死んだほうが楽だったよ」
秋山「そんなこと無いですよ、頑張ってくださいよ」と、言いたかったが言えないでいると、気持ちを察したのか、
漁師「でも、生きてたからこうしてうまいもんが食えるだ。行政が何もしてくれなくてがっかりだ、ボランティアの人達がこうしてきてくれるから何とかやっていけるんだ。こんな恩、とても返しきれねーだ」
上田「こまった時はお互い様ですよ」

会社で集めた募金でビタミンCの錠剤を31個買ってきた。栄養のバランスが崩れて風邪などをひかないように、女性や子供達が多い避難所と、社会福祉センターにいる職員やJHPのスタッフに渡した。

左の帽子をかぶっている方がここの責任者だ。そこに役場の人が訪ねてきた。
役場の人「ここの責任者の方、いますか?」
会長さん「ここには責任者はいねーよ」
・・・・
ここの地区は行政に対して不満を持っていた。聞くところによるとこの町は二つの町が合併をして出来た町で、こちらは反町長派だった。会長曰く「あのやろう選挙のときは良くきやがって、今回はまだ一度も顔を出さね・・・・」。どこかに不満をぶつけないと収まらない、みんなぐっと我慢をしているんだと感じた。

「今までに一番うまいもん食った」の言葉に、疲れも心地よい。
漁師のおじさん「俺のサティアンに泊まってくか」の、暖かいお誘いをやんわりお断りしてベースキャンプに戻る。




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